平昌オリンピックに男子カーリング日本代表として出場したチームを覚えていますか?
男子カーリングチームSC軽井沢クラブは長野県を本拠地として2007年に誕生しました。
チームを創設したのは長岡秀秋(ながおかひであき)さん
長野県にある総合型地域スポーツクラブ「SC軽井沢クラブ」理事長の方です。
SC軽井沢クラブがどのように生まれ、日本代表として世界と戦えるようになったのか、その道のりを追っていきたいと思います。
生みの父:長岡秀秋さん
長岡秀秋(ながおかひであき)さんは昔スピードスケート選手でした。
ある日、高校時代のスケート部先輩に呼び出されてカーリングのビデオをみせられます。
その先輩はカーリング選手として日本選手権連覇し、「カーリングという面白い競技を日本にもっと広めていきたい」という熱い想いを長岡さんに語りました。
先輩の熱い想いは響かず、当初カーリングに全く魅力を感じなかった長岡さんでしたが、ものは試しと体験会に参加しているうちにカーリングの魅力に気づき、長岡さん自身でチームを結成するまでのめり込むようになります。
長野オリンピックから正式種目となったカーリングで日本代表を目指しますが、日本カーリング発祥地と呼ばれている北海道勢チームには勝てず。
その後は長野オリンピックのカーリング競技副委員長に起用されるなど、日本のカーリング普及に力を注いでいきます。
長野オリンピックで日本代表がアメリカとの決勝トーナメント進出をかけた試合に惜しくも破れたとき、長岡さんの心に強い日本チームを作りたい想いが刻まれました。
日本選手権連覇や世界選手権入賞という素晴らしい成績を収めていた学生中心の日本代表チームが卒業や就職で解散することが当たり前の当時、長岡さんは自ら選手を雇ってチームを作ることを思いつきます。
2007年、軽井沢スポーツクラブの職員として両角友佑(兄)選手と山口剛史選手を採用します。
つづいて当時まだ中学生で代表ジュニアチームで活躍していた清水徹郎選手と両角公佑(弟)選手もチームに合流します。
これが「SC軽井沢クラブ」のはじまりです。
実は、両角兄弟(当時兄は13歳、弟は9歳)も長野オリンピックのアメリカ戦を会場でみていました。
両角公佑(弟)選手はこのときの感動を卒業文集で「いつか世界と戦いたい」と書いていたそうです。
年齢は違えど、想いは同じ人間が数年の時を経て巡り合い、その想いを実現させていたなんて驚きです。
「守る」から「攻める」へ
ハウスに溜まった相手のストーンを一気に弾き出して形勢逆転の大量得点を狙う「攻撃的カーリング」、SC軽井沢クラブが目指すカーリングです。
当時のカーリング界は日本だけでなく世界の他国も「守りのカーリング」と呼ばれる、ハウス内にある相手ストーンを弾き出しながら相手のミスを待つ戦略をとっていました。
そんなあるとき、両角友佑(兄)選手は「攻撃的カーリング」で相手を寄せ付けない常勝国カナダの試合を目にして確信します。
「日本が世界と戦うために必要なのはこの攻撃的カーリング」だと。
ハイリスク・ハイリターンである攻撃的カーリング習得へSC軽井沢クラブの厳しい道程の始まりです。
日々の練習、国内の試合、海外遠征を通じて攻撃的カーリングの精度に磨きをかけていきますが、まだスポンサーもつかず、自費で活動していたチームは常に資金不足に悩まされていました。
そんなSC軽井沢クラブの現状を知った地元軽井沢の人々はいろいろな形で選手やチームをサポートしてきました。
カフェを営む店主は選手に食事をご馳走したり、床屋さんでは無料で選手の髪を切ったり、選手がお金に困っていると聞いたらバイトを紹介したり、スーパーマーケットの社長さんは販売する食材を遠征時に無償提供したり、選手たちにとって本当に助けになったと思います。
さらに軽井沢町に総費用21億円もかけた通年利用できるカーリング専用場が完成し、1年中アイスの上で練習できる環境を手に入れました。
地元の熱いサポートのおかげで資金難を脱し、恵まれた練習環境の中で、SC軽井沢クラブは攻撃的カーリングを貫いて20年ぶりに男子カーリングで出場した平昌オリンピックは勝利を重ねて4勝で終えました。
攻撃的カーリングの成果が見え始めた最中、2018ー2019シーズンも変わらずSC軽井沢クラブが存続していくと思いきや、今シーズンは新体制で望むためチームは解散となり、選手それぞれが新天地でプレイヤーとして、またコーチとして活動することになりました。
両角友佑(兄)選手は日本女子カーリング選手権優勝の中部電力コーチとして3月の世界女子カーリング選手権に挑みます。
山口剛史選手は2月の世界ジュニアカーリング選手権でSC軽井沢クラブジュニアチームのコーチとしてジュニア育成に力を注いでいます。
清水徹郎選手は男子カーリング日本代表コンサドーレ札幌のサードとして3月の世界選手権を戦います。
両角公佑(弟)選手はチーム東京のプレイヤーとして2月の日本男子カーリング選手権を戦いました。
このようにSC軽井沢クラブのメンバーは、日本カーリングの未来を見据えてそれぞれ目標をもって活動しています。
まとめ
カーリングSC軽井沢クラブ生みの父、長岡秀秋さんについて紹介しました。
長岡さんのスケート部の先輩がカーリングをやっていなかったら・・・
その先輩が熱い想いを長岡さんに語っていなかったら・・・
強い日本チームを作りたい長岡さんと強い日本チームに「攻撃的カーリング」の必要性を感じた両角友佑(兄)選手が出会っていなかったら・・・
1つでも欠けていたら平昌オリンピックのSC軽井沢クラブの活躍はみることができなかったと思います。
長岡さんが生み出し、地元軽井沢の人々に育てられたSC軽井沢クラブ。
それぞれ目標をもって活動中の両角友佑(兄)選手、山口剛史選手、清水徹郎選手、両角公佑(弟)選手が再集結し、さらに磨きかかった「攻撃的カーリング」SC軽井沢クラブをみたいと思うのはわたしだけでしょうか。
SC軽井沢クラブの行く末も気になりますが、まずは3月の男女世界カーリング選手権に注目ですね。
男子代表コンサドーレ札幌、女子代表中部電力の大活躍に期待しましょう!
コメント