日本カーリングを強くした育ての母 長岡はと美さん

母カーリング
この記事は約4分で読めます。

強いカーリング日本代表の生みの父が長岡秀秋さんであるなら、育ての母は、長岡はと美さんだと思います。

長岡はと美さんはどのような人物か、カーリング日本代表が平昌オリンピックで男子8位、女子銅メダルという素晴らしい結果を出せたのはなぜか、について紹介します。

スポンサーリンク

長岡はと美さんとは

「グレイト・ピジョン」の愛称で親しまれている長岡はと美さんは1953年3月23日、長野県生まれ。

日本選手権や世界シニア選手権で入賞したこともある元カーリング選手で、現在はご主人の長岡秀秋さんが理事長を務めるスポーツコミュニティ軽井沢クラブが主催する「カーリングエリートアカデミー」のヘッドコーチとして、ジュニア世代の育成に力を注いでいます。

平昌オリンピックでは男子カーリングSC軽井沢のコーチとして選手の練習に付き合うことはもちろん、早朝に試合があった女子カーリングLS北見(ロコ・ソラーレ)選手のために早起きして炊き出しまでやっていたそうで、自虐的に自分のことを「飯炊きババア」と呼ぶこともあるとか。

試合中もコーチボックスで、長岡さんの隣に座るリザーブ選手にダジャレをいって笑わす場面もあったそうです。

平昌で大活躍の愛弟子たち

お茶目で可愛らしい一面もある長岡さんですが、女子カーリング中部電力が日本選手権4連覇を達成した当時にコーチをされていました。

中部電力のスキップだった藤澤五月選手は18歳から長岡家に下宿し、雪かきと2匹の犬の散歩を手伝いながら、長岡コーチと寝食を共にして中部電力黄金時代を築きました。

常勝中部電力が生まれたきっかけは、長岡さんが長野オリンピック公式記録員として間近で世界レベルのカーリングを目にしたとき。

スポンサーリンク

当時のカーリングは日本だけでなく世界でも、ハウスにある相手ストーンを弾き出して相手のミスを待つ「守りのカーリング」でしたが、常勝国カナダのカーリングは違っていました。

カナダが徹底していた「攻撃的カーリング」は高得点が狙える代わりに、1つのミスで大量失点のリスクもあるハイリスク・ハイリターンの戦略。

長岡さんは日本が世界と戦うためにはカナダの「攻撃的カーリング」が必要不可欠だと気づきます。

女子の次は男子だと、中部電力コーチを引退後、まだ学生だった両角友佑(兄)選手と出会ってSC軽井沢の前身AXE(アックス)を立ち上げて、コーチとして指導します。

当時の両角友佑(兄)選手はスポーツできなさそうに見えるほど太っていて、ランニングをサボりがちだったため、長岡さん所有の倉庫を手作りトレーニングジムに改造してそこで練習させていたそうです。

遅れてSC軽井沢に加入する両角公佑(弟)選手も太っていて、兄と似てランニングをサボりがちでトレーニングジムができるまでは練習させるのに苦労したみたいです。

山口剛史選手はSC軽井沢クラブのクラブ職員として働き、長岡家に下宿させてもらって、そのとき出会った長岡さんの長女七重さんと結婚し、はと美さんの義理の息子となります。

SC軽井沢クラブの平昌オリンピック出場が決まってから、長岡さんはコーチとして各選手の個人練習につきっきりで1日8時間以上は指導されていたそうです。

長岡コーチの指導は、平昌オリンピック男子カーリング8位、女子カーリング銅メダルという形で現れます。

どちらも長岡さんがいなければ成し得なかった結果だと思います。

まとめ

中部電力コーチ、SC軽井沢クラブコーチとして活躍され、今もなおカーリングエリートアカデミーのヘッドコーチとして若手育成に注力されている長岡はと美さん。

スポーツコミュニティSC軽井沢クラブの理事長でありご主人でもある長岡秀秋さんと二人三脚で、カーリングの普及および世界で戦って勝てる日本チームの育成に貢献されてきました。

はと美さんがカーリングエリートアカデミーで育成しているジュニア世代から強いチームが誕生し、いつか復活するかもしれないSC軽井沢クラブや女子の強豪中部電力、ロコ・ソラーレ、北海道銀行、富士急とオリンピック日本代表をかけて戦う姿もそう遠くないのではないかといまから楽しみです。

スポンサーリンク

コメント